prado128x’s blog

日々思ったことをつぶやいていきます

統一教会と関係があった自民党だけが問題なのだろうか

安倍元首相の衝撃的な暗殺事件があった直後、メディアはこぞって「統一教会と接点の合った政治家達」を取り上げていた。そこには自民党だけでなく民主党や維新の議員の名前もちらほらと見られ、私たち一般視聴者は、統一教会によって日本の政治がまるで支配されているのではないかとの漠然とした不安感にかられた。また、関係性が発覚した議員たちは罰が悪そうに鈍い感じの受け答えをメディアに対して行い、それの姿がより一層「悪いことをしてるから誤魔化そうとしている」ような印象を国民に与えることとなった。また、メディアたちは鬼の首をとったかのようにそうした政治家たちに執拗にマイクを向ける報道姿勢が見え隠れし、全体的に、この一連のニュースに重苦しい印象を持つこととなった。

 

そしてそれがここ数日、メディアのターゲットが自民党の萩生田政調会長にしぼられてきている。メディアたちは、「テレビの視聴者である国民の代表としていよいよ悪の権化の尻尾をつかまえてやった」と言わんばかりの、そんな感じの報道になってきた感じがする。

 

しかし、そんなに萩生田氏だけがそんなにバッシングされなければならないのだろうか。統一教会と何らかのやましい関係があったのだろうか。統一教会は、自民党にいったいどんな影響力があったのだろうか。また、議員たちは統一教会側に何らかの弱みでも握られているのだろうか。

 

統一教会の信者数は公称56万人とのこと。

www.rirc.or.jp

この数は、決して集票としては影響力は大きくない。むしろ全国に300ほどある小選挙区で割ると、単純計算で一つの小選挙区に数百の票しか入らない計算になり、集票としてはあまり期待できないらしい。したがって、議員が最もほしがっている「票」には結びつかない。「選挙協力をしてもらった」との説明が繰り返しテレビで流されているが、それは真実なのだろう。電話攻勢をかける際の要員としてボランティアをしてもらっていたとのこと。有権者への電話という行為は、おそらく長時間の長電話や心無い言葉への対応など精神的にかなり疲弊するものであろう。それをボランティアでやってくれたとのことだから、その見返りに、会合の出席をしたのだろう。もちろん、霊感商法による被害者を出している教団なので、関係を持つことはあまりよろしくないことではあるが、きちんとそこまで教団の本質に向き合わず、ボランティアをしてくれた相手から会合への参加を打診されたから、二つ返事で引き受けたのだろう。おそらくそれ以上の見返りはないだろうし、現実的にもできないだろう。

 

よく調べもせず、また、霊感商法の被害について重く受け止めず気軽に会合へ出席した、つまり、脇が甘かったのではないか。

 

安倍政権時代には消費者契約法を改正している。これは、ずばり霊感商法を規制するものだ。したがって統一教会に対して自民党が便宜を図ったとは思えないどころか、統一教会側にとって、厳しい対応を行なったと言える。

 

そもそも「信仰の自由」は尊重されるべきだ。ツボや教団の刊行物が法外な値段で売られていることへ何の疑問も持たず献金する信者たちは、自身が幸せに感じているのであれば他者がそれを規制するべきではない。普通の感覚の人間であれば、そのような法外な値段のものを購入したり、献金したりはしないだろう。

 

他人が規制すべきではない、とは思うが、普通の人なら近寄らないだろう。それを、ボランティアをしてくれたとのことで、その見返りに会合へ参加したり挨拶を送ったりする関係があったのだろう。自民党や、その他関係する議員たちに対しては脇が甘いとは思うが、それ以上に何か違法行為があるわけでもなく、イメージが悪くなるだけの、ただそれだけの話ではないかと思う。今回もマスコミによる偏向報道がひどいように感じてしまう。

 

それに、統一教会が何か影響力あったかといえば、そうではなく、「影響力があるように見せていた」だけのことであるので、それが今次第にバレつつあることを考えると、一連の報道は過激すぎるだけの印象を持ってしまう。

 

 

何のために書くのか

人間は日々膨大な情報に接している。ちょっとした雑学から仕事に必要なスキルなど。中にはその後の行動や人間性に影響するようなとても重要な材料まで、学生や社会人として多くの人と関わり合い、多くのことを行っている中で実にさまざまな情報に触れる機会がある。そして、日々その蓄積された膨大なデータの中から必要に応じて取捨選択しながら、自分にとって必要だと判断された情報については長期記憶へと転換されていく。必要でないと判断された情報については、記憶の片隅に追いやられ、やがて無意識下のどこかへと薄れていっていまう。このようなことを繰り返しながら人は日々自分の人格をアップデートしていく。

 

このアップデート作業については、その日の終わり、あるいはその出来事の終末に際して「反省」や「まとめ」「ふりかえり」といった作業を行い、その日1日に触れた情報を意識的に整理する場合もあれば、そのまま何もせずに眠りについてしまう場合もあるが、いずれにせよ翌日には一定のリセットをされた状態から新しい情報に触れる1日が始まる。こういった情報を整理するサイクルに手を加え、少しでも質の良いアップデートを行いたい。

 

1800年代後半に心理学の分野で活躍したヘルマン=エビングハウスによれば、学習量(=新規に記憶する量)や忘却量は、指数関数的であるとのこと。前者は、記憶量が最も多い段階は、学習直後であり、後者は物事を忘れるスピードや量は記憶後が最も多いということである。長期的に定着する記憶は、学習開始直後の記憶量に対して数パーセント程度である。したがって、長期的な記憶をたくさん残したいと思うのであれば、それの何倍もの学習量が必要であるということだ。だから、反復学習をすることが大切なのだ。この反復にあたる部分を、書くことで確保したい。

 

そこで必要となるものは「時間」である。毎日の反復学習をいったいどのようにして時間確保していくべきか。

 

まず、1日の仕事の終え方について考えたい。平日の夜、仕事に追われながらもその中で睡眠時間をギリギリ確保できるよう計算して、その直前まで仕事を行うのではなく、「書く」ことを仕事の一つとしてスケジューリングすることだ。そうすることで書くことにきちんと向き合いたい。

 

次に、ブログへの投稿を焦らないことだ。書いたブログをすぐに投稿するのではなく、翌日に見直して加筆・修正しながら自分の文章を洗練させ、思考の整理をきちんと行う。

 

最後に、ブログの内容は一貫していなくてもよいことにしていく。人は昼間、多岐にわたる物事を考える。考え出されたいくつかのアイデアや知見のそれぞれに脈絡のないものが多いと思われる。いちいち一貫したブログに仕上げてしまっては、視野が狭くなるのではないかと思う。また、一貫性を放棄することで、「書く」ことへのハードルを下げたいと思う。長く続かせることが今の最大の目標だ。(1012文字)

基礎力無くして学力無し

家庭で先取り学習を進めたい親が陥りやすいダメなパターン

中学生や高校生の我が子に親が勉強を見てやることは難しいかもしれませんが、小学校低学年の間は、まだ十分に可能でしょう。例えば1年生であれば、習ってくることなんて簡単な足し算や引き算などです。大人であればできない人はいないような簡単な学習です。しかし、簡単な内容のはずなのに、いくらチャレンジしても子供が思うように成果を上げないばかりか、逆に勉強嫌いになってしまうケースが多く、次のようなケースに陥りがちです。

 

  1. 親が求める学習時間が長すぎて、子供が勉強すること自体に抵抗感を持つ。
  2. 簡単な学習のはずなのに、子供がなかなか理解しないため、次第に親の口調が厳しくなり、険悪なムードになる。
  3. 勉強嫌いにさせたくないので、できるだけ褒めておだてて基本的な問題ばかりをやらせていて、結局成果が出ない。
  4. 子供が机の前に座り、一応勉強の形をとるが、ほんの少し勉強をしたようなしないような・・・そのうちに遊び出し、結局勉強をしない。
  5. その他

低学年の勉強の目的は概ね3つ

1 集中力向上

2 補習学習・基礎力定着

3 発展的学習や先取り学習

 

目的とはすなわち「今つけたい力」です。低学年であれば、目的は1つに絞る方が良いでしょう。その中でもおすすめは[2]の補習学習・基礎力定着です。

 

下記の動画中1:10〜で

 

過去問を取れない人は計算が遅い

 

ときっぱり言い切っています。

 


計算力が遅いことが原因!?初見で取れない理由【理系編】|受験相談SOS

 

問題を解くための思考過程と、論理を進めるために計算する思考過程は全く別物です。つまり同時に2つ以上の思考課題を並列処理することが求められるわけです。そうなれば、一つ一つの処理にはできるだけリソースを割かないことが理想です。

 

また、これが国語の読解の場合には、言葉の意味理解や語彙力といった部分でしょう。言葉の理解の集合が文章理解の第一歩です。したがって計算力の向上や言葉の意味の獲得は、学力向上の最も大切な土台となるわけです。よく、「日本人は計算ばかり正確に行うがクリエイティブさがない」などといったステレオタイプな批判を目にすることがありますが、これは、相当に高いレベルでの話です。欧米人であっても日本人であっても、高学歴な人は間違いなく思考スピードが速いです。まずは計算力・語彙力を固める学習がおすすめです。

親が子供に行う家庭教育

家庭教育Tips

我が子が勉強しない→いっしょに勉強する

我が子の成績が上がらない→いっしょに勉強する

我が子が本を読まない→いっしょに本を読む

つまり家庭教育のポイントは「いっしょに」行うこと。

 

親が行う家庭教育の最大のポイントは、親が子供のことを理解しているか、だと思う。ちょっとレベルの高い問題集を見て、我が子が自力で解けるか解けないか、判断できるくらいの理解度は必要。

 

よく「この程度の問題がなぜできない?」とか「同学年と比べてどの程度できているんだろう?」と思うことがあります。そういうときは、教科書準拠の問題集を解かせてみる。9割得点で偏差値はおおよそ50程度だと思えばいい。(小学校)

教科書レベルというのは偏差値50程度。ただし、基礎基本が洗練されて載っているので、教科書を「読みこなす」のはかなりのレベル。その鍵となるのは、どのような難しい問題であっても、「教科書のどの知識をベースにして作られた問題か」を常に意識することが大切。

減量することで体の動きが軽くなった話

白米減量の効果

歩くことが全く苦にならないどころか、フットワークが軽く、仕事中のちょっとした荷物運びや来客の対応等がとてもスムーズになった。今までお腹周りに重りを備え付けていたものを外したかのような、そんな感じ。何で今までしなかったのだろうかと思うぐらいだ。

f:id:prado128x:20190906230349j:plain

多くの仕事場において、フットワークの軽い人は頼りにされる。ちょっとした手助けやフォローをしてくれる人が近くにいてくれると、安心感につながるし、何よりもその職場の能率が向上する。わかってはいたけれども、今までは体が重くて動くことへ抵抗感を感じていた。それが今は無い。というかむしろ今までの鈍い・重たい・反応が悪いといったイメージが、自分の評判をどれほど貶めていたのかを考えると、後悔の念にたえない。これからはどんどん動こう。

 

とはいえ減量幅が大きいわけではない

f:id:prado128x:20190906225556j:plain

 

体重計に乗ってみると意外にも2Kg弱ほどしか減ってはいない。代謝量や筋肉量、1日の消費カロリー等を考慮すると、「減量」できるほど減らせているわけでもなさそう。しばらくは数字上の大きな成果が見られない日が続くかもしれないが、リバウンド防止のためにも、緩やかな白米減量を続けていく方が、体には負担がないのかもしれない。

 

しばらくは今のペースを保とうと思う。

白米を控える

白米を減らす

減量を緩く本気でやろうと決意し、今日は夕食の白米を幼稚園児が食べる量くらいにまで減らしてみた。タンパク質は、煮魚で摂るので、筋肉の減少は防げるはず。さすがに空腹感がひどいので牛乳をコップ一杯分しっかりと飲んだ。牛乳はお腹にズドンとくるので、便利だ。

(仮説)「脂肪燃焼量は、空腹時の活動量に比例する」説が自分に合ってるのではないか

使い古された感のある説だが、大事なことは、その方法が自分に合うかどうか、あるいは意欲的にチャレンジすることができる方法かどうかだ。今のところ、体重が重く、体脂肪率が高すぎることからくる「動きづらさ」を何とかしたいという思いがあるので、空腹時の方が、動きやすい感じがする。そこで、「空腹のまま動き回ること」を実践してみようかと思う。

 

減量をするとフットワークが軽くなる

 

韓国の話

 

韓国がGSOMIAを破棄したとか、それに対してアメリカが「失望」を表明したとか、本気か口だけなのか判断がつかない言葉が世の中をとびかっています。

 GSOMIAは、一般の市民には全く馴染みのない言葉であった。自分もそうなのだが、ニュースの解説を聞いて初めて知った。が、そんな私でも少なくても下記の3点については素人なりに解釈できる。

  1. 「北の脅威」に対して、韓国は「実は脅威に感じていない」という見当はずれな認識を抱いていること
  2. 韓国は、北朝鮮から飛んでくるかもしれないミサイルから自国(=韓国)を防衛することよりも日本に嫌がらせを行うことの方が重要だと考えていること
  3. 韓国人は、自分たちの世論工作のためには相手国に非礼な態度をとることは構わないと考えていること

 などである。

 

ところで、先日、北朝鮮が飛翔体を発射し、それを韓国より日本の方が1分早く報道したとニュースがあった。つまり飛翔体の情報をキャッチしたのは韓国より日本の方が早いと言いたいのだろうか。情報をつかんだり分析したりするスピードについてニュースでとりあげることで、日本の情報把握能力が知られてしまうという不都合はないのだろうか。 

 

フットワークが軽くなった

 

そんなこんなを考えながら、今日は1日、食べる量を減らしてみたところ、さっそく300gほど減った。何よりも、1日とても動きやすくフットワークが軽かった。仕事をする上で、フットワークが軽いというのは重要だ。明日もよい減量生活を送ろう。